
▲コンポントム州、プサーチャッ近くの氷屋
コンポントム州プサーチャッ近く、セン川沿いの氷屋。氷をノコギリで切断したりルモー(バイクの後ろの荷台をつけた乗り物)に乗せて運んだりする際、イネの籾殻をまぶす。
「(まぶしておくと)氷が融けにくくなるんです」
氷屋の男性が教えてくれる。稲作の国ならではの知恵と言えるだろう。

▲チャオプラヤー川のボート(タイ、バンコク)

▲メコン川の川渡し(カンボジア、ネアックルアン)

▲メコン川の川渡し(カンボジア、カンダール州キエンスバイ郡)
東京都杉並区西荻北にある書店「旅の本屋のまど」さんにて、「トーマダー」を販売していただけることになりました。
のまどさんのサイトはこちら→
http://www.nomad-books.co.jp/今週、納品する予定なので、早ければ来週には店頭に並ぶかもしれません。のまどさん、どうもありがとうございます。

▲トゥクトゥク(タイの首都バンコク)

▲トゥクトゥク(カンボジアの首都プノンペン、王宮そば)。※1

▲トゥクトゥク(カンボジアの首都プノンペン、トゥオルスラエン博物館前)

▲トゥクトゥク(カンボジアの首都プノンペン、ダウムコー市場前)

▲これもトゥクトゥク?(カンボジアの首都プノンペン、トゥオルトンプーン市場近く)

▲付録 インドのトゥクトゥク「オートリキシャ」(ケーララ州カサラゴット)
※1:カンボジア人の間ではモトーコンバイ(三輪バイクの意)、コンバイ(三輪の意)、ルモー(バイクの後ろに接続させる荷台のようなものを指す)、ルモーコンバイなどと呼ばれることが多い(と思う)。

▲果物の切り売り(カンボジアの首都プノンペン)

▲果物の切り売り(タイの首都バンコク)
タケオ州出身のあるカンボジア人(40代)の言葉。仮にその彼をPとする。Pはポルポト時代、まだ子どもだったため、あの時代は「家族と引き離された辛さ」は強く感じたが、政治的、歴史的な意味は理解できなかった。そのPに、ある日本人が聞いた。
「ポルポトはどんな人間だったと思うか」
Pはこう答えた。
「ポルポト時代が終わって大きくなってから、自分なりに歴史を勉強してポルポト時代を整理してみた結果、ポルポトはいい人間だったという結論に達した。なぜなら、あの時代には平等があり、それをもたらしたのがポルポトだからだ」
都市住民と農村で生活する農民との大きな距離を縮め、そこに平等をもたらそうとしたポルポトは「いい」人間だったというのがPの考えだ。このPも失われていく命を目にしたし、十分に食べられない辛さも味わっている。
ポルポト時代について書かれた体験記や書物、映像などは、おもに都市住民側からの視点で描かれたもので、それらと比べるとあの時代以前から農村で暮らしていた農民、旧住民と呼ばれた人々の言葉はごく少数ではないだろうか。ポルポト時代とは何だったのかを語ろうとするとき、このもう一方の視点を欠いてしまっては大きな何かを見落としてしまうのではないかと思う。その大きな何かは巨大で静かなひずみとなって現在のカンボジアにもひしひしと襲いかかっている気がする。
Pの口から発せられたような言葉を聞くたび、カンボジアの農村に住む人々、カンボジア人の大半を占める農民とプノンペンという都市で生きる自分との間に峰のようにそびえる壁の高さを感じずにはいられない。加えて、この種の壁は世界の至るところで見えない障壁となり、弱き人々を苦しめているのではないかと思えてならない。こんなことを考えていると、目の前に広がるプノンペンの闇のなかに奇妙な深さを感じてしまう。

▲コンポンチャーム州南部にある国境の村での国境貿易のようす。
ある仕事の関係でコンポンチャーム州南部の村を回ったときのこと。ベトナムと国境を接するドーン集落(通称)で大豆の国境貿易を見た。写真に写っているのはコンポンチャーム州のチョムカールー台地で栽培された大豆。国境を越える手前のドーン集落で品質と重量の再確認をしてからバイクに積んでベトナムへ運ぶ。現場を取り仕切るベトナム人の女性によると、1キロ9000ドン(約2200リエル=約50円)でベトナムへ売る。すぐそばでは、こぼれた大豆を広い集めるカンボジア人の農民の姿があった。

▲バイクに大豆を乗せて国境へ向かうベトナム人。
バイクに積まれた大豆は、青々とした田園のなかを伸びる狭い農道を通ってベトナムへ運ばれていく。写真に写っている林を越えてしばらく進むとそこはもうベトナムだ。原則としてここは地元の人のみが行き来することのできる国境なので、外国人旅行者の姿はない。こういう光景を見ていると、自分の頭にある「国境」という概念と目の前のそれとはずいぶん距離があるんだなあと感じる。大豆を乗せたバイクは、国境に吸い込まれるように次々と姿を消していった。
とある新聞記者の取材に通訳として同行し、カンボジア東部のクラチェ州へ行って来た。クラチェといえばメコン川に生息する淡水イルカ。取材のテーマもこのイルカと関係がある。
カンボジア政府やクラチェ州は、世界的にも貴重なこの淡水イルカを観光資源として活かそうとしている。最近、よく聞くようになった「エコツーリズム」の一環らしい。絶滅の危機に瀕している生物を守り、かつ観光資源として活用していくという話は聞こえがいい。イルカを守ることができ、かつ観光収入も入る。いいことじゃないか。多くの人が思う。だが、その陰で苦境に追い込まれている人々の存在は、「観光開発」というスローガンのもとにかき消される。こんなことを書いている自分も意識しなかったことだ。
絶滅の危機に瀕している生物の保護。このこと自体は大切なことだろう。でも、イルカの保護が社会的弱者を追い込むことになってはいけないと思う。
「観光資源であるイルカを保護することで、地元に観光収入が落ち、地元経済が潤う」
と主張する人がいる。この主張にある「地元」とは、具体的にどんな人々のことを指すのだろう?
観光収入が一部の人々を潤す一方、弱き立場にある人々の生活は変わらない。いや、それどころかイルカ保護政策のもとで、以前より苦しい状況に陥っている人すらいる。カンボジアが抱える陰鬱な現実のひとつがここにもある。
石澤良昭・編著『アンコールワットを読む』(連合出版)の口絵ページにこんなキャプションがつけられた写真が掲載されている。写真はシェムリアップにあるごみ廃棄場だ。
「マス・ツーリズムとは何なのか? その功罪は? 地域住民を置き去りにした観光開発であってはならない。」
格安航空券で世界を移動し、全土に張り巡らされたバス網を利用して地方へ移動する。マス・ツーリズムの恩恵にどっぷり浸っている自分は、この大きな矛盾の渦に巻き込まれ、方向を失い、出口を見いだせないでいる。これもまた陰鬱な現実だ。
この国はどこへ向かおうとしているのだろう。

トーマダー4号の制作が終わった。年末年始も動き続けてやっと印刷まで持っていけた。今回は選んだテーマがテーマだったこともあり、生み出す苦労を味わった。
特に護符ヨアンの話は取材準備にずいぶん苦戦した。資料探しとその読み込み、取材対象者探し、そしてインタビュー。宗教的な内容やカンボジア人のものの考え方なども関係してくるため、まだまだ不勉強な自分にはずいぶん重いテーマだったと思う。可能な限り突っ込んで調べたつもりだが、それを読者の方々がどう受け止めるか。それでも、ヨアンは自分が知る限り日本のメディアではほとんど取り上げられたことのないので、その意味ではそれなりに納得のいく仕事をしたと思う。
表紙の写真は当初予定していたものと差し替え、「ものづくりの現場を訪ねる」の内容も予告していたものからコッダイ島の染織へと変更した。また、シリーズ企画の「カンボジアのチュガンニュ」は誌面では止め、今後、ウェブで展開していく予定だ。
発行の遅れにより、いろいろな方々に迷惑をかけてしまったことを反省。また、「4号はいつ出るのか」という数少ない嬉しい問い合せには感謝、感謝である。そう言う声があってこそ、小誌を続けていけるというものだ。数日の休憩を、と思ったが、1月はしばらく休めそうにない。

▲トレーニング中のキックボクサー(撮影:首都プノンペン)
カンボジアの伝統格闘技ケイラープロダル(キックボクシング)の選手たち。あるキックボクシングのジムには、現在、約20人ほどの練習生が在籍しているが、そのうちの大半は農繁期になると故郷へ帰り、稲の収穫を手伝うという。彼らの出身地はバッタンバン州、バンテアイミエンチェイ州、スバイリエン州などさまざまである。農村からプノンペンへやって来て、キックボクシングの練習に励む若者たちはどんな夢を描きながら日々、水田で、ジムで汗を流しているのだろう。

▲サトウヤシ(オオギヤシ)の樹液を発酵させて作るヤシ酒「タックトナオトチュー」を自転車で運んで売る男性(撮影:コンポンチャーム州メモット郡)
サトウヤシ(オオギヤシ)の樹液を発酵させて作るヤシ酒「タックタナオトチュー」は、価格の安いアルコール飲料としてカンボジア人に親しまれている。値段はコップ一杯(150〜180ミリリットル程度)で数百リエル。写真の男性は1杯200リエル(約5.75円、1米ドル=4000リエル=115円として計算)で売る。ビールは安いものでも330ミリリットルで1500リエルくらいするから、嗜好にもよるがヤシ酒はお金のあまりない人でも手に入れやすいアルコール飲料だと言える。なお、一般的に飲まれているヤシ酒のアルコール度数は高くなく、飲んだ実感からするとビールより低い。3%とか4%くらいだろうか。
写真の男性は、村で作ったヤシ酒を10リットル入りのプラスチック製容器に入れ、自転車で町まで運んで売る。10リットル全部売れると5000リエルの売り上げになるらしい。コップ1杯が200リエルなので計算が合わないが、その理由はコップ売りではない別の売り方(やかん売り)もあるからだろうか。
ヤシ酒を売るのは乾季(11月から5月)のみで、
「よく売れますよ。雨季も樹液は採取できますが、ヤシ酒にするにはおいしくないので売らないんです」
と男性が言う。
すぐそばに立つ屋台で焼き鳥などのつまみを買い、用意された席で飲めるようになっている。オープンエアのもとでヤシ酒を飲むのはなかなか気持ちがいい。
『幼い娼婦だった私へ』(文藝春秋)の著者
ソマリー・マムさん講演会in桜美林大学
日時:2008年1月24日(木)17時50分〜19時30分(予定)
場所:桜美林大学 町田キャンパス 明々館A408教室
参加費:無料
連絡先:桜美林大学国際学部4年 石井丈士(salamapo@hotmail.co.jp)
桜美林大学町田キャンパスまでは淵野辺駅もしくは
京王・小田急多摩センターより無料のスクールバスが運行していますので、
そちらをご利用ください。
桜美林大学町田キャンパスへのアクセスは
こちらスクールバスの時刻表は
こちら

▲雨樋を通った雨水がビニルの筒を伝って水瓶にたまるようになっている(撮影:バッタンバン州バノン郡)
カンボジアの農村部には水道は通っていないため、炊事や洗濯、水浴び、飲料用などとして広く一般的に雨水が利用されている。飲料用に用いる場合、殺菌のために一度沸騰させて飲む人もいれば、水瓶に溜まった雨水をそのまま飲む人もいる。写真の家では、沸騰させずそのまま飲んでいた。
本大会は、カンボジアの対人地雷被災者救済のため、日本の多くのランニング愛好者やNGOが世界各国から参加して、作り上げてきたチャリティー国際認定レースです。地雷被災者の人々に勇気と希望を与え、人類が二度と悲惨な世紀を迎えないよう、「非人道的な対人地雷の使用禁止」を訴え続けるために毎年開かれています。
■開催日程:2007年12月2日(日)午前6時30分スタート(前夜祭12月1日)
■開催地:アンコール遺跡特別周回コース
■参加料金
ハーフマラソン:55.00USD、
ロードレース30.00USD〜
■お申し込み方法(最新版/2007年11月20日現在)
こちらをご覧下さい。
■お問い合わせ
□カンボジア(英語対応):
アンコールワット国際ハーフマラソン大会実行委員会
#79C St.155, Toul Tompoung I, Chamkarmon, Phnom Penh
P.M. Green
Tel: +855(0)23-213-525
E-mail:
coop@angkormarathon.org□日本(日本語対応):
アンコールワット国際ハーフマラソン大会実行委員会日本事務局
〒701-1213 岡山市西辛川872-2 ハート・オブ・ゴールド本部事務局内
Tel/Fax: 086-284-9700
E-mail:
hginfo@hofg.org

▲道路脇で唐辛子を日に干しているところ(バッタンバン州バノン郡)
家のすぐ前を通る道の脇で唐辛子を干している家があった。家主に聞くと、生の唐辛子の場合、売値は1キロ2000リエル(約55円)程度だが、干すと1キロ8000リエルから1万リエルくらいで売れるようになるという。また、生のときと比べて長持ちするといった利点もある。晴れていれば3日ほどで干し唐辛子になる。
撮影:2007年11月13日

▲蛍光灯と一緒に吊るされたレモングラス(バッタンバン州バノン郡の農村にて)
カンボジアの農村部には、ほとんど電気は通っていないに等しいため、日が傾き始めると、周囲はすぐ暗闇に包まれる。
電気の代わりに各家庭で大活躍しているのが自動車のバッテリーだ。バッテリーに蛍光灯のコードをつなぎ、庭に植えてある木や高床住居の床下などに蛍光灯を吊るしておく。明るさはさほどではないが、暗闇をしのぐには十分なのだろう。
さて、農村の暮らしは自然との距離が近いため、灯りをともすとすぐに無数の虫が押し寄せてくる。そのなかには、デング熱やマラリアを媒介する蚊も含まれている。デング熱は今年、カンボジア国内で流行したと言われており、また、マラリアはタイやベトナムと国境を接する地域では依然として大きな脅威だ。
都市部は別だが、カンボジアの地方では日本のように簡単に虫除けスプレーが手に入らない地域も多い。そんなときに役立つのが、日常的な食材のひとつとして利用されているレモングラスだ。レモングラスには蚊を遠ざける成分が含まれており、カンボジアでは昔から虫除けの薬代わりに使われて来た。レモングラスの成長は早いので、植えておけばすぐに増える。ありがたい植物だ。

▲村に祀られているネアックター(右の石)。左の像は不明/撮影:カンダール州
あるカンボジア人からおもしろい話を聞いた。カンボジア人の多くは仏教を信仰しているが、それとは別にネアックターという存在を信じている。ネアックターとは何かを説明するのは難しいが、ごくおおざっぱに言えば土地の精霊と言える。カンボジア語でネアックは一般的な「人」を、ターは「祖父」を意味することから、祖先の霊を指すとも考えられている。あるカンボジア人によれば、ネアックターには、山のネアックター、川のネアックター、森のネアックター、家のネアックターなど、さまざまな存在があるという。
ところで、カンボジア人の家には、だいたいこのネアックターを祀る祠のようなものがある。日本でいうところの神棚のようなものと考えればいいだろうか。おもしろい話はここからだ。カンボジアではロトのような数字を当てるくじが広く親しまれているが、あるカンボジア人の家庭では、祀っているネアックターが当選番号を告げてくれるという。あるとき、突然ネアックターからの「お告げ」があり、それに従ってくじの番号を買うと当たるというのだ。ただし、その番号を人に教えてはいけないことになっていて、もし他人に言ってしまったら今後いっさい「お告げ」はなくなってしまうそうだ。
見事、当選した暁には、ネアックターにお礼のお供え物をする。その家庭で祀っているネアックターはアサヒビール(カンボジアでも広く販売されている)が好きなので、それをお供えするらしい。このお供え物を忘れてしまっても、ネアックターを怒らせてしまうことになるので、欠かせないという。アサヒビールが好きなネアックターとは、いかなるネアックターなのだろうか……。
カンボジアの人身売買や子ども買春の問題をなくすために少女たちの保護や社会復帰支援などを行っているカンボジアのNGO、AFESIPの創立者であるソマリー・マム代表が来年1月に来日します。彼女が買春宿に売られた経験などを綴った自伝
『幼い娼婦だった私へ』(文藝春秋)は日本でも話題になっています。
国際子ども権利センターでは、ソマリーさんを招聘し、1月23日〜28日の間、東京、大阪、長崎でカンボジアにおける子ども買春の状況や活動にかける熱い思いを聞きます。以下、メインイベントである国際シンポジウムのお知らせです。
国際シンポジウム「子ども買春をなくそう!」
日時:2008年1月26日(金)午後6時半〜9時
会場:
早稲田大学小野講堂 国際子ども権利センターは、カンボジアで子どもの人身売買や児童労働の防止活動を行っています。詳しくは、
国際子ども権利センターのHPをご覧ください。
■お問い合わせ
国際子ども権利センター東京事務所
info@jicrc.org
電話・FAX 03‐5817‐3980
調べものをしに仏教研究所の図書室へ行ったときのこと。2時半ごろ図書室前に着いたのだが、まだ扉が開いていない。係の人が遅れているのだろうと思い、空き時間を使って門のそばにある書店で資料探しをしながら待っていると、45分頃、扉が開いた。係の人に
「もう入ってもいいですか?」
とひと声かけてから中へ入ると、入館簿への記入を促してきた係の人が口を開く。
「いやあ、2ヶ月も過ぎてるのにまだ給料が支払われていなくってねえ」
この人に限った話ではないが、ほぼ初対面に等しい人間にどうしてそういうことを言ったり聞いたりするのだろう、というカンボジア人は少なくない。この日もお互いの仕事とか収入の話をしていた流れでそういう話題になったのなら、まだわからなくもないのだが、そんな前触れは一切なし。入館簿への記入を進められ、それに従って名前やら性別やらを書いていた矢先のことだ。世間話の入り口にしては、ちょっとネタが重いよな。
時間があったら、ちょっと突っ込んでみるとまたカンボジア人に対する新しい発見があったかもしれないが、この日は時間がなかったし、やや疲れていたこともあって、
「そうなんですか」
と一言返すだけで終わった。
次回、機会があったら少々実験的に突っ込んでみようかと思う。

▲Parmanent Wat Phnom Drawing Art Exhibition Centerの奥に展示されている漁具
「観光名所」の少ない首都プノンペンにあって、定番の観光地のひとつとなっているのが、プノンペン発祥の地といわれるワットプノン寺院だ。小高い丘の上に築かれたこの寺院は、プノンペン中心部では珍しく緑の豊かなところで、地元の人々の憩いの場ともなっている。
さて、ワットプノン寺院を訪れたら、寺院の西側にあるParmanent Wat Phnom Drawing Art Exhibition Centerにも足を運んでみたい。お土産物や絵画の並べられた空間を通り越して奥へ進むと、民俗資料館のような一画があり、漁具や農具、民具などが展示されているのだ。

▲サトウヤシの樹液採取に使う道具と運搬用の自転車
各展示には、ほとんど説明はないに等しいが、カンボジアの農村の暮らしに興味のある人なら、きっと興味深く見ることができるだろう。地方出身のカンボジア人と一緒に訪れる機会があったら、それぞれの道具が農村でいつ、どんな風に使われているのかを聞いてみれば、カンボジアという国を別の視点から見ることができるのではないかと思う。
これら民具には、「開発」の進むプノンペンやシェムリアップの中心部、シハヌークビルなどの町からは感じとることの難しい、農村の暮らしが詰まっている。
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