
▲果物の切り売り(カンボジアの首都プノンペン)

▲果物の切り売り(タイの首都バンコク)
タケオ州出身のあるカンボジア人(40代)の言葉。仮にその彼をPとする。Pはポルポト時代、まだ子どもだったため、あの時代は「家族と引き離された辛さ」は強く感じたが、政治的、歴史的な意味は理解できなかった。そのPに、ある日本人が聞いた。
「ポルポトはどんな人間だったと思うか」
Pはこう答えた。
「ポルポト時代が終わって大きくなってから、自分なりに歴史を勉強してポルポト時代を整理してみた結果、ポルポトはいい人間だったという結論に達した。なぜなら、あの時代には平等があり、それをもたらしたのがポルポトだからだ」
都市住民と農村で生活する農民との大きな距離を縮め、そこに平等をもたらそうとしたポルポトは「いい」人間だったというのがPの考えだ。このPも失われていく命を目にしたし、十分に食べられない辛さも味わっている。
ポルポト時代について書かれた体験記や書物、映像などは、おもに都市住民側からの視点で描かれたもので、それらと比べるとあの時代以前から農村で暮らしていた農民、旧住民と呼ばれた人々の言葉はごく少数ではないだろうか。ポルポト時代とは何だったのかを語ろうとするとき、このもう一方の視点を欠いてしまっては大きな何かを見落としてしまうのではないかと思う。その大きな何かは巨大で静かなひずみとなって現在のカンボジアにもひしひしと襲いかかっている気がする。
Pの口から発せられたような言葉を聞くたび、カンボジアの農村に住む人々、カンボジア人の大半を占める農民とプノンペンという都市で生きる自分との間に峰のようにそびえる壁の高さを感じずにはいられない。加えて、この種の壁は世界の至るところで見えない障壁となり、弱き人々を苦しめているのではないかと思えてならない。こんなことを考えていると、目の前に広がるプノンペンの闇のなかに奇妙な深さを感じてしまう。

▲コンポンチャーム州南部にある国境の村での国境貿易のようす。
ある仕事の関係でコンポンチャーム州南部の村を回ったときのこと。ベトナムと国境を接するドーン集落(通称)で大豆の国境貿易を見た。写真に写っているのはコンポンチャーム州のチョムカールー台地で栽培された大豆。国境を越える手前のドーン集落で品質と重量の再確認をしてからバイクに積んでベトナムへ運ぶ。現場を取り仕切るベトナム人の女性によると、1キロ9000ドン(約2200リエル=約50円)でベトナムへ売る。すぐそばでは、こぼれた大豆を広い集めるカンボジア人の農民の姿があった。

▲バイクに大豆を乗せて国境へ向かうベトナム人。
バイクに積まれた大豆は、青々とした田園のなかを伸びる狭い農道を通ってベトナムへ運ばれていく。写真に写っている林を越えてしばらく進むとそこはもうベトナムだ。原則としてここは地元の人のみが行き来することのできる国境なので、外国人旅行者の姿はない。こういう光景を見ていると、自分の頭にある「国境」という概念と目の前のそれとはずいぶん距離があるんだなあと感じる。大豆を乗せたバイクは、国境に吸い込まれるように次々と姿を消していった。
とある新聞記者の取材に通訳として同行し、カンボジア東部のクラチェ州へ行って来た。クラチェといえばメコン川に生息する淡水イルカ。取材のテーマもこのイルカと関係がある。
カンボジア政府やクラチェ州は、世界的にも貴重なこの淡水イルカを観光資源として活かそうとしている。最近、よく聞くようになった「エコツーリズム」の一環らしい。絶滅の危機に瀕している生物を守り、かつ観光資源として活用していくという話は聞こえがいい。イルカを守ることができ、かつ観光収入も入る。いいことじゃないか。多くの人が思う。だが、その陰で苦境に追い込まれている人々の存在は、「観光開発」というスローガンのもとにかき消される。こんなことを書いている自分も意識しなかったことだ。
絶滅の危機に瀕している生物の保護。このこと自体は大切なことだろう。でも、イルカの保護が社会的弱者を追い込むことになってはいけないと思う。
「観光資源であるイルカを保護することで、地元に観光収入が落ち、地元経済が潤う」
と主張する人がいる。この主張にある「地元」とは、具体的にどんな人々のことを指すのだろう?
観光収入が一部の人々を潤す一方、弱き立場にある人々の生活は変わらない。いや、それどころかイルカ保護政策のもとで、以前より苦しい状況に陥っている人すらいる。カンボジアが抱える陰鬱な現実のひとつがここにもある。
石澤良昭・編著『アンコールワットを読む』(連合出版)の口絵ページにこんなキャプションがつけられた写真が掲載されている。写真はシェムリアップにあるごみ廃棄場だ。
「マス・ツーリズムとは何なのか? その功罪は? 地域住民を置き去りにした観光開発であってはならない。」
格安航空券で世界を移動し、全土に張り巡らされたバス網を利用して地方へ移動する。マス・ツーリズムの恩恵にどっぷり浸っている自分は、この大きな矛盾の渦に巻き込まれ、方向を失い、出口を見いだせないでいる。これもまた陰鬱な現実だ。
この国はどこへ向かおうとしているのだろう。

トーマダー4号の制作が終わった。年末年始も動き続けてやっと印刷まで持っていけた。今回は選んだテーマがテーマだったこともあり、生み出す苦労を味わった。
特に護符ヨアンの話は取材準備にずいぶん苦戦した。資料探しとその読み込み、取材対象者探し、そしてインタビュー。宗教的な内容やカンボジア人のものの考え方なども関係してくるため、まだまだ不勉強な自分にはずいぶん重いテーマだったと思う。可能な限り突っ込んで調べたつもりだが、それを読者の方々がどう受け止めるか。それでも、ヨアンは自分が知る限り日本のメディアではほとんど取り上げられたことのないので、その意味ではそれなりに納得のいく仕事をしたと思う。
表紙の写真は当初予定していたものと差し替え、「ものづくりの現場を訪ねる」の内容も予告していたものからコッダイ島の染織へと変更した。また、シリーズ企画の「カンボジアのチュガンニュ」は誌面では止め、今後、ウェブで展開していく予定だ。
発行の遅れにより、いろいろな方々に迷惑をかけてしまったことを反省。また、「4号はいつ出るのか」という数少ない嬉しい問い合せには感謝、感謝である。そう言う声があってこそ、小誌を続けていけるというものだ。数日の休憩を、と思ったが、1月はしばらく休めそうにない。
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