「ポト野郎(ポルポト)の時代が終わってすぐ、プノンペンには何もなかったよなあ」
この一言がきっかけとなり、船頭の男性と知人のカンボジア人が民主カンプチア時代(ポルポトの時代)の話をし始めた。ふたりとも、同時代に肉親を失っている。横に座っている女性は、タイ国境にあった難民キャンプで生まれ、その後、難民としてアメリカに渡りそこで育った。カンボジアの土を初めて踏んだのは、成人してからのことだった。冗談の好きな明るい彼らだが、みな心に深い闇を抱えている。
ボートには、船頭とその連れの女性以外には、乗客が4人しかいない。ふたりのカンボジア人男性は、やや興奮した口調で話し続けた。
主題は、クメールルージュ裁判だった。民主カンプチア時代、政治の中枢にいた人間が責任逃れをしているのが許せないという点で2人の意見は一致している。
「当時、外務大臣だったイエンサリが、粛清や虐殺問題について知らないなんてことは信じられない」
「そうだ、信じられるわけがない。外交を担う外務大臣が知らないなんてことがあるものか」
イエンサリのほかにも、当時幹部だったヌオンチア、キエウサムパン(キューサムファン)、ターモックなどの名前を出して、彼らは批判を展開する。プノンペンで育った知人にとって、あの時代は辛苦以外の何ものでもなかったに違いない。ポルポトに大きな思想的影響を与えたと言われる毛沢東や中国、隣国タイ、大国の主義を優先させるアメリカ、旧宗主国フランスも嫌悪の対象となった。
やや感情的な議論のなかで、最後の一言が印象に残っている。
「私はただ、彼らに謝罪して欲しいだけなんだ。そして、なぜあのようなことをしたのか、どうしてあんなことが起きたのか、その真実を知りたい」

プノンペン市内のトゥオルスラエン虐殺博物館に展示されているクメールルージュの幹部たちの写真。そこにいつからかカンボジア語で「ポト野郎」「淫売」「くたばれ」「クソ野郎」といった感情的な落書きが見られるようになった。どんな人たちが書いたものなのかは知らないが、書きたくなる気持は理解できる。
だが、大切なのは、二度と悲劇を繰り返さないためにポルポト時代とは一体何だったのか、その整理をすることだと思う。
「真実を知りたい」
7月3日、正式に始動したクメールルージュ裁判が適正かつ円滑に運営され、司法によって彼らの願いが形になることを祈っている。
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