薔薇 現在の閲覧者数: トーマダー 200707

トーマダー

「トーマダー」とはカンボジア語で「ふつうの、ありふれた」を意味することばです。「ふつう」で「ありふれた」カンボジアを通して、今まで語られることのなかったこの国の多様な表情を伝えていきたいと思います。

■雨のカーテン

雨のカーテン


今日の夕方、雨が降った。カンボジアの雨季の空は明暗がはっきりしていて、見ていて飽きない。雨は局地的に降るため、降っているところはどんより暗く、遠方の降っていないところには光が射している。
また、雨の降っていない場所から雨が降っている遠方を眺めると、くっきりとした雨のカーテンが見える。そのカーテンが移動しながら地面を潤していく様を眺めていると、自分は自然のなかで生かされているのだという気持がわき上がってくる。

■流れる時間感覚の違い

シシャモを炭火で焼く


客人を夕食に招くことになったので、中央市場へ買い出しに行った。中央市場には、近所の市場にはない海の幸が(カンボジアにしては)豊富に揃う。今日の狙いはシシャモとハマグリだ。中央市場でハマグリが売られているという話は、先日知り合った人から聞いた。
売り子さんに聞くと、ハマグリは知人から聞いたとおり1キロ2000リエル(約60円)で、シシャモは1箱(20匹近く入っている)1万リエル(約300円)。カンボジア人も日常的に魚を食べるが淡水の魚であって、シハヌークビル市など沿岸部の地域は別として、海の魚はほとんど食べない。サワラ、マナガツオ、サバ、タイといった久しぶりの海の幸に心が躍る。
さて、買ってきたシシャモを大家さんの家で炭火で焼いてもらうことにした。カンボジアの家庭では、首都プノンペンでも炭火が日常的に使われている。ガスコンロのある家でも、ガスと併用している場合が多い(もちろん、ガスしか使わない家もある)。炭火は1キロ数百リエルで買えるため経済的だし、ガスと比べるとものをおいしく焼く力がある。朝食(外食)の定番メニューのひとつである「豚肉のせごはん」の豚肉も炭火で香ばしく焼かれる。この味を知ってしまうと、炭火焼きにこだわりたくなってしまう。実際はいろいろ手間がかかるので、ついつい簡単なガスに頼ってしまうのだが……。
ガスと炭火の大きな違いがもうひとつある。所要時間だ。ガスは栓をひねればすぐに使えるが、炭火は火がついてある程度の温度に達するまで15分くらいはかかる。加えて、ガスと比べると火力が弱く、焼くのにもある程度の時間を要する。火の力が強くなり過ぎれば、竈の下から灰をすくいとり、火の上に振りかけて火力を弱める。逆に弱くなれば新しい木炭を追加する。パチパチと赤い光を発する炭火の前で腰を落ち着け、大家さんの親戚の女性とたわいもないおしゃべりをしながら魚が焼けるのを待つ。
「この魚、何て言うの?」
「どうやって食べるんだい?」
「あーあ、身が崩れちゃったね」
「焼く前に塩味をつけたほうがおいしいんじゃないの?」
「この魚、卵ばっかりで肉がほとんどないわね」
漂うシシャモの香ばしさとともに、緩やかな時間が流れていく。ガスで焼いていたら、こんなゆったりと流れる時間を感じることもないだろう。カンボジア人の時間感覚は現代の日本人のそれと大きく違う。炭火で魚を焼くという行為から、彼らの生活時間の流れを具体的に体感したような気がした。
自分はガスを選択し、ゆるやかな時間の流れを捨てて生きてきた。だが、カンボジアに来てからは、炭火の時間のなかで暮らすことも多い。

便利さを追求するか、もしくは「炭火の時間」を求めるか。ただ、一度便利さにどっぷりと浸かってしまうと、「炭火の時間」にあわせて動くのは難しくもある。

■ただいま校正中

トーマダー三号

「トーマダー」第3号の校正をしている。原稿の質を考えると、まだ初校の前の段階なのだが、パソコンの画面上で文字とにらめっこしていても能率が上がらないので、組んだページをプリントアウトし、ホチキスで簡単に製本してみた(写真)。それを使って校正を進めている。
日本で編集の仕事をしていたときから思うのだが、自分で書いた文章を自分で校正するというのは、やや無理がある。頭のなかに大まかな原稿の内容が入っているため、いくら注意深く読んだとしても、どうしても誤りを見落としがちになってしまうのだ。
無理があるとはいえ、身近なところにプロの校正者がいるわけではないので、自分で校正するしかない。
データ上での修正作業も含めて、数日は文字とのにらめっこが続くだろう……。

■おめでとう、そしてさようなら

■プノンペン=東京往復書簡

東京に住んでいる波田野直樹さんと、電子メールによる往復書簡をかわすことになった。書簡のテーマはカンボジアというだけで、個々の話題は「風の吹くまま」。実現するかどうかは別として、書籍として出版することを目指した計画ということになっている。
書簡の内容は、お互いのブログで公開することになっている。つまり、人に読まれる手紙になるわけだ。第三者に読まれる手紙というのを今まで書いたことはないため、新しい意識が芽生えるきっかけになるかもしれない。
数あるコミニュケーションのなかで、手紙やメールという形態はどちらかと言えば得意な分野だが、語られるテーマがカンボジアとなると、果たして自分がどれだけ展開することができるだろうかと思う。
ただ、今までやってきたことは、ブログにしろ「トーマダー」にしろ、見聞したことや調べたことを一人で文字に起こしていく作業だった。だが、この往復書簡の計画では、話を投げかける相手がいて、その人から応答が来る点が大きく違う。自分が投げたボールを波田野さんがどう受け止めるか。どんな球を返してくるか。そこがおもしろそうだ。
波田野さんは、遺跡を含む歴史という視点からカンボジアを見てきた人だ(と思っている)。対して自分は人間の暮らしを軸としてこの国を見てきた。自分が見てきたものは、カンボジアという国の一片に過ぎないが、今まであまり語られて来なかった部分だと思っている。そういったカンボジアの陰に光を当てることができたら楽しいやりとりになるだろう。
いずれにしろ、まずは投げられた一球をどう受け止めるか、それを考える必要がある。

■擬似的なナショナリズム?

用があって家に来た知人のカンボジア人が言った。
「ボクシングの試合、(この家の)テレビで見れる?」
知らなかったが、彼はキックボクシング観戦が好きらしい。この日の夕方、TV5で国際試合が中継されていた。残り2試合しか見ることができなかったが、カンボジア人のボクサーがオランダ人のボクサーと戦い、2選手とも勝利を治めた。
最初の選手はオランダ人に攻められ続け、このままリングに沈むかと思われたところ、体勢を整えて挽回し、逆転勝利。知人と一緒に
「おー! 勝った勝った!!」
とカンボジア人選手の勝利を喜んだ。その瞬間、ふと思った。自分はカンボジア人ではないし、オランダに対して負の感情を抱いているわけでもない。それなのに、なぜこうもカンボジア人の勝利を喜ぶのだろう?
理由のひとつは、カンボジア国内におけるスポーツの状況にある。カンボジアには他国と張り合えるスポーツがほとんどない。唯一強さで誇れるとしたら、それはキックボクシングぐらいだろうとカンボジア人は言う。キックボクシングがスポーツかどうかは別として、そのキックボクシングで見事相手をダウンさせたのだ。キックボクサーを取り巻く環境を垣間見た経験も、自分の感情をカンボジア側に押し出す一因となっている。
だが、それよりも大きな理由は、カンボジアで暮らしているうちに、自分のなかに一種の擬似的なナショナリズムに近い意識が芽生えてきたからだと思う。
カンボジアに住んでもうすぐ3年という時間が過ぎようとしている。「光陰矢の如し」というが、滞在経験が与えた影響を考えると、3年という時間は自分にとってそれなりの長さを持つものだったと言える。

■「豊かさ」の陰に隠れたもの

夕食の買いものをしに、近所の市場へ行った。考えた献立に沿って一通りの買い物を済ませた後、明朝に食べる果物を買うことにした。
最近、果物売場でよく見かけるようになってきたのは釈迦頭(カンボジア語で「ティアプ」)だ。ザボンもぼちぼち並ぶようになってきたが、この日は釈迦頭を選んだ。
市場で食材を買うとき、産地と食卓との関係を把握するため、なるべく売り子の人にどこから仕入れてきたのか聞くことにしている。この日買った釈迦頭は、売り子によるとカンボジア東部のコンポンチャーム州から仕入れたものだという。だが、同じく買いに来ていた男性は、トンレサープ湖畔のコンポンチュナン州のものだという。

カンボジアの市場に並ぶ豊富な食材を見て、「カンボジアは豊かな国だ」と言う人がいる。かつての自分もそう思っていた。色とりどりの食材は、この国の豊かさを示す一つの指標だと。だが、そういった食材が示す別の側面があることを知った。
プノンペン市内の市場に並ぶ野菜は、その多くが隣国のベトナムやタイで栽培されたものだ。カンボジアの気候と地力が育んだものだと信じていた色彩豊かな果物も、ベトナム産やタイ産のものがほとんどで、国産品にお目にかかる機会は少ない。
ひとつの理由は、国産品の生産量の少なさにある。カンボジアの農業はタイやベトナムと比べると労働集約的ではなく、天水に頼っているため、生産高が低くベトナム産やタイ産のものと比べると高い。化学肥料や農薬、機械化率なども関係している。そのため、地方では栽培されていても、プノンペンまで届く数は少ないという。
ベトナムと国境を接するスバイリエン州や、タイと国境を接するバンテアイミエンチャイ州へ行くと、カンボジアがどれだけ両国から野菜や果物を輸入しているかを自分の目で確認することができる。トラックやリヤカーに積まれて国境を渡ってくる食材は、この国の農業事情を端的に物語っている。

話を戻そう。売り子の言う通り、買った釈迦頭がコンポンチュナンから来たものなら国産品の可能性は高いが、タイ国境へと続く国道5号線が通るコンポンチュナン州から仕入れられたものだとすると、タイ産の可能性がある。1キロ3500リエルという値段が輸入品である確率を低めているが、果たして真実はどうか。自分の舌では、国産品と輸入品を見分けることは甚だ困難だ。

■「どうしてあんなことをしたのか、その真実を知りたい」

知人のカンボジア人と一緒に、トンレサープ川のクルーズを楽しんだ。そのときのこと。川から見えるプノンペン市内の夜景を見て、知人のカンボジア人が口を開く。
「ポト野郎(ポルポト)の時代が終わってすぐ、プノンペンには何もなかったよなあ」

この一言がきっかけとなり、船頭の男性と知人のカンボジア人が民主カンプチア時代(ポルポトの時代)の話をし始めた。ふたりとも、同時代に肉親を失っている。横に座っている女性は、タイ国境にあった難民キャンプで生まれ、その後、難民としてアメリカに渡りそこで育った。カンボジアの土を初めて踏んだのは、成人してからのことだった。冗談の好きな明るい彼らだが、みな心に深い闇を抱えている。
ボートには、船頭とその連れの女性以外には、乗客が4人しかいない。ふたりのカンボジア人男性は、やや興奮した口調で話し続けた。
主題は、クメールルージュ裁判だった。民主カンプチア時代、政治の中枢にいた人間が責任逃れをしているのが許せないという点で2人の意見は一致している。
「当時、外務大臣だったイエンサリが、粛清や虐殺問題について知らないなんてことは信じられない」
「そうだ、信じられるわけがない。外交を担う外務大臣が知らないなんてことがあるものか」

イエンサリのほかにも、当時幹部だったヌオンチア、キエウサムパン(キューサムファン)、ターモックなどの名前を出して、彼らは批判を展開する。プノンペンで育った知人にとって、あの時代は辛苦以外の何ものでもなかったに違いない。ポルポトに大きな思想的影響を与えたと言われる毛沢東や中国、隣国タイ、大国の主義を優先させるアメリカ、旧宗主国フランスも嫌悪の対象となった。

やや感情的な議論のなかで、最後の一言が印象に残っている。

「私はただ、彼らに謝罪して欲しいだけなんだ。そして、なぜあのようなことをしたのか、どうしてあんなことが起きたのか、その真実を知りたい」



プノンペン市内のトゥオルスラエン虐殺博物館に展示されているクメールルージュの幹部たちの写真。そこにいつからかカンボジア語で「ポト野郎」「淫売」「くたばれ」「クソ野郎」といった感情的な落書きが見られるようになった。どんな人たちが書いたものなのかは知らないが、書きたくなる気持は理解できる。
だが、大切なのは、二度と悲劇を繰り返さないためにポルポト時代とは一体何だったのか、その整理をすることだと思う。

「真実を知りたい」
7月3日、正式に始動したクメールルージュ裁判が適正かつ円滑に運営され、司法によって彼らの願いが形になることを祈っている。

関連ニュース

■ポーサット駅


ポーサット州にあるポーサット駅。ブーゲンビリアに彩られた美しい駅で、以前、バッタンバン駅から鉄道に乗ってプノンペンへ向かった際、車掌と一緒にここで食事休憩をとった。バッタンバンからポーサット(約102キロ)まではバスなら2時間程度だが、速度の遅い鉄道だと順調に進んでも8時間かかる。

■黒いビニル袋の疑惑

ビールが飲みたくなったので、近所の雑貨屋に買いに行った。ついでに豆乳と先日書いた炭酸水も1本ずつ買った。
ビニル袋を無駄にするのがもったいないので、いつものとおりお店のおばさんに
「袋はいりません。手で持っていくので」
というと、買った本数(ビール1缶、豆乳1缶、炭酸水1本)のせいか、袋に入れていきなさいと返されてしまう。
「一回だけ使って捨ててしまうのでもったいないからいいです」
と伝えたところ、おばさんはこう言った。
「市場ではね、袋に入れないで(買った商品を)手で持って歩いていると、盗んだんじゃないのかって疑われるんですよ。それとね、たとえ袋に入れていても、黒くてなかが透けて見えない袋だと、同じように疑われるの。お店の人と顔見知りなら大丈夫ですけどね」
プノンペンでは、市場やスーパーマーケットで万引きをして捕まった場合、何を盗んだのかがわかるよう、盗んだ商品と一緒に全身、または上半身の写真を撮られる。その写真は市場の掲示版やスーパーの出入り口の近くなどに貼られ、公衆の視線にさらされるのだ。
資源を無駄にはしたくないが、かといって盗人扱いされてさらし者になるのもごめんなので、買い物かごにもなるような鞄を持ち歩くことにするか。