薔薇 現在の閲覧者数: トーマダー トーマダー日誌

トーマダー

「トーマダー」とはカンボジア語で「ふつうの、ありふれた」を意味することばです。「ふつう」で「ありふれた」カンボジアを通して、今まで語られることのなかったこの国の多様な表情を伝えていきたいと思います。

■トゥールスレン虐殺博物館には幽霊が出る?

首都プノンペンにあるトゥールスレン虐殺博物館で働くある女性の話。この女性は今まで霊的な存在は信じていなかった。

ある日、この女性が職場で激しい頭痛に襲われた。寝ても薬を飲んでも痛みは一向に収まらない。すると同僚がこう言った。
「トゥールスレンの霊が取り憑いて頭痛を引き起こしているのよ。その霊にお供え物をすればきっと治るはずだわ」
半信半疑であったが、頭痛から逃れたい一心で言われたとおり「病魔」に供え物をし、これ以上自分を苦しめないで欲しいと願った。すると、頭痛はうそのようにぴたりと止まったという。
「今までね、お化けとか幽霊とかそういうものを信じてなかったんだけど、お供え物をしたらウソみたいに頭痛が止まったので、あれ以来、考え方がちょっと変わったのよ」
女性が言う。この女性によると、トゥールスレンで働いている人々はみな霊的な存在を「目撃」したことがあるが、そういった存在は暗黙の了解のようになっていて、誰も口に出したりしない。
「この間も近所の人がね、博物館の入り口前に生えているココヤシの樹上に座っている霊を見たのよ」

近代医学の考え方が入ってくる前、カンボジアでは病気というものは霊的な存在が体内に入ることで引き起こされるものだと考えられてきた。体調が悪くなった場合、近所にいる有能なクルーと呼ばれる呪医に頼み、呪術、またはそれと伝統生薬を組み合せた「治療」を施してもらう。クルーの力が悪霊より強ければ、悪霊を追い払うことができるが、悪霊の力が強大であったり、クルーの能力が低かった場合、悪霊を退けることができず、場合によっては死に至ることもあると考えられてきた。
現在でも地域によってはこのような考え方が残っており、悪霊を退散するための呪術や手法、習慣が伝わっている。

数年前、日本に留学をしていたあるカンボジア人が真顔でこんなことを言っていたのを思い出した。
「ポルポト時代が終わった直後は幽霊がたくさん出たんだ」

■ある役人が語るカンボジアの問題点

先日、仕事で首都プノンペンの某役所へ行った。そこでの用事を済ませ、さて帰ろうかと思ったときのこと。ちょっとした話の流れから、対応してくれた役所の職員がカンボジアの問題点について語りだした。
最初は彼の仕事柄、カンボジアの交通事情に関する話だった。彼にはオーストラリアで生活したことのある甥がいて、その甥っ子からオーストラリアの話をいろいろ聞いたことがある。また、メディアや知り合いを通して、日本の交通事情についての情報も得ている。この両国と比べ、カンボジアの状況がいかに悪いかを彼は話し続ける。
その後、こちらが役所の事務手数料についての質問をしたこともあり、カンボジアの公務員事情へと話題が変わった。彼によると、フンセン首相が公務員試験制度を導入するという話をしたらしく、試験制度が実際に始まったとしたら、今後はその試験に合格しなければ公務員として働けなくなる。
「そういう制度が始まったら、経済力のある人、有力者とのコネのある人が優先的に仕事にありつけることになる。公務員試験のために勉強しようとしたって、月収10ドルとか20ドルの人が試験勉強のための本を買ったら、食べ物を買う金がなくなってしまう。
今のカンボジアには金がないから借金し、それが返せなくなって土地を手放さざるを得なくなる人がいるじゃないか。彼らは土地を失い、食べていけず、どうすることもできなくて、路上で座り込んで涙を流している。哀れに思った道行く人が少々の金や食べ物を恵んでいるが、そんなのは一時の救いになるだけであって、根本的な解決にはなっていない。
公務員なんてのは、どこの役所でもどこの部署でも安い月給をカバーするために市民から不法な金を要求するんだ。だから役所の行政サービスの手数料がいくらかなんて言うことはできない。私がいくらと言ったところで、別の職員が請求する「手数料」は違うんだから。
NGOや国際機関が学校を建てるなど、いろいろ支援してくれるが、農業の分野の支援が少ない。まず人々が食べていけるようになることが大事なのだから、農村で農業に対する支援が必要だと思う。明るい将来のためには教育が大切だ、だから今、頑張って勉強しなさいというのは理解できるが、人間、お腹いっぱいにならなければ、明日のことなんて考えられない。
この間、(プノンペンの)ソリヤショッピングセンターに行ったんだけど、勉強そっちのけで遊んでばかりいる若者をたくさん見たよ。諸外国のいいところを学び、それを取り入れていって少しずつ改善していかなければ、この国の未来は明るくないね。
私たちの国カンボジアは問題が多過ぎて、私はどうすればいいのかわからないよ。」

■「これはヤギの肉だ。食べてみなさい」

久しぶりにカンボジア人のKさんと会い、日本から来たVさんと3人で夕食にヤギ鍋を囲んだ。そのとき、Kさんが鍋のなかのヤギ肉を見て、自分のおじさんとの思い出話をしてくれた。Kさんがまだ子どものころの話で、今から15年、20年前の話だ。

Kさんのおじさんは長い間兵士をしていたこともあり、食べられるものはなんでも食べる人だったという。そんなおじさんとKさんが食事をしに行ったときのこと。Kさんは、入ったお店で出された肉料理の肉が、その形状から足の肉だということはわかったが、何の肉なのかわからなかった。そんなKさんに対しておじさんはこう言った。
「これはヤギの肉だ。食べて見なさい」
おじさんに勧められるまま食べてみた。カレーのように煮込んだ肉料理でおいしかった。

その晩、寝床についてからのこと。なぜか体がカッカッと火照るように熱くなり、汗をかいたので水浴びをしてからまだ寝床についた。だが、しばらくするとまたカッカッと体が熱くなったので、再び水浴びをした。Kさんが言う。
「その晩は寝床についた後だというのに、2回も水浴びしたんですよ」
あとで知ったことだが、その肉はヤギではなく、犬肉だった。犬肉には体を温める効果があるため、カンボジアでは1年のうちで最も涼しい12月から2月ごろにかけて犬肉を食べる人がいるという。ただし、犬肉を食べる習慣は、カンボジア人にとっては一般的なものではなく、隣国ベトナムから入ってきた比較的新しい食習慣で、食べないカンボジア人も多いと聞く。Kさんのおじさんは料理が得意で、そのおじさんによると、犬肉はココナツミルクで煮るとおいしいらしい。

さて、別の日、Kさんがまたおじさんと食事をしにいくことになった。その店で、Kさんはまた自分が知らない肉料理を出された。おじさんは
「これはウサギの肉だ。食べて見なさい」
と言った。これまたあとで知ったことだが、その肉は猫の肉だった。Kさんによると、犬肉は首都プノンペンでも食べられるが、猫の肉を出す店は地方に行かないとない。しかも、その肉が猫の肉だと客に知られると売れなくなるので、客に肉の正体がばれないように出すという。
「そのおじさんは10年くらい前に亡くなりましたが、おもしろい人でしたよ」

■来世はアメリカ人か日本人に生まれ変わりたい

取材で首都プノンペンから南へ約50キロのところにあるコンポンスプー州を訪れた。毎度のことながら、出発時点で明確な取材対象者は決まっていないため、漠然とした目的地に着いたらまずは対象者探しから始めなければならない。この点がおもしろくもあり、頭を悩ませるところでもある。
今回の取材対象者はクルークマエだ。クルークマエというのは、精神的なカウンセリング、伝統療法による病気の治療、護符の作成、悪霊退散などの呪い(まじない)などを司る人のことで、それぞれ得意分野を持っている。「悪霊退散」と書くと、ややオカルトじみていると感られるかもしれないが、カンボジアでは人間の生活に悪影響を及ぼすと考えられているさまざまな霊的存在が広く信じられており、それらの中には、日本の古典や絵巻物、昔話などに登場するものとそっくりなものもある。
今回インタビューしたのは悪霊退散をひとつの専門とするクルークマエで、パーリ語や仏法にも通じている。彼は田園の広がるコンポンスプー州の農村の一画にサトウヤシの葉で葺いた屋根の小さな建物を建て、そこで伝統療法に基づいた治療を施す施療院のようなものを営んでいる。
インタビューの最中に相手が発した言葉のなかで、今でもひっかかっているものがある。人間の行いについての話になったところで、そのクルークマエは冗談めかしてこう言った。
「私もいい行いをし、来世ではアメリカ人や日本人に生まれ変わりたいです。日本人は非常に賢く、すばらしい製品をたくさん生み出しているじゃないですか。私は前世での行いが悪かったせいか、現世では脳みそのよくないカンボジア人として生を受けましたからね」

■物乞いにお金をあげるか否か

仏教研究所の図書室で調べものをした帰り、近くの食堂でコーヒーを飲みながら一休みしていたときのこと。住宅地を回って刃物研ぎをすることで収入を得ている20歳くらいの男性が、食堂の客のところへ来て物乞いをし始めた。自分の苦境を訴え、食べるお金がないのでくださいと言う。男性が着ているTシャツとズボンは全体が黒くすすけたように汚れて、所々破れたり穴があいたりしている。

その場にいたのはカンボジア人が4人(うち2人は夫婦らしい)、自分を含む非カンボジア人が3人(うち2人は白人)だった。彼らが物乞いに対してどんな態度をとるのか気になったので観察してみた。
物乞いが最初に向かったのは若い白人男性のところだったが、あっさり断られた。続いて中年くらいのカンボジア人男性のところへ行くと、その男性は物乞いの男性に1000リエル札を一枚手渡した。2008年6月現在、プノンペンでは米1キロが2500リエルから4000リエル程度なので、1000リエルというのは安い米を400グラム買えるくらいの金額だ。
続いてバゲットのサンドウィッチを食べていた若いカンボジア人男性のところへお金を乞いにいくと、サンドウィッチを食べていた男性は100リエル札を1枚渡した。物乞いの男性は食堂のさらに奥へ入り、食事をしていた白人の女性に声をかけたが、その女性はまったく躊躇せずはっきりと断った。
さらに物乞いの男性は夫婦らしき二人組のところへ乞いに行ったところ、この二人組も500リエルを男性に渡した。

ストリートチルドレンや路上生活者に対する支援活動をする団体のスタッフ(非カンボジア人)のなかには、「自立の妨げになるから物乞いにお金や物を渡すのはやめるべきだ」と主張する人がおり、「開発」や「援助」の世界ではそういう考え方が主流になってきていると聞く。一方、カンボジア人は困っている人に対してお金や物を分けてあげる行為を「トヴーボン(善根を積む、徳を積む)」と言い、自分の今までの観察によると、手持ちの量や額に応じて分け与える人が多い。

この違いから学ぶべきことは何だろう。

■「カンボジア語の名前は何ていうの?」

トーマダー5号の取材のため、カンダール州南部のコットム郡へ行ってきた。

コットム郡のバサック川沿いにあるコンポンソンブオ寺院裏にいた子ども達に話を聞いていたときのこと。子ども達の問いに対し、こちらが日本人だと告げると名前を聞かれた。
「まこと? 日本人の名前は呼びにくいんだね」
カンボジア人にとっては確かにそうかもしれない。でも、それはこちらにとっても同じことで、ある程度慣れるまで日本人にとってカンボジア人(に限った話ではないが)の名前は覚えにくく呼びにくいだろう。相手は9歳の子どもだが、そこを敢えて突っ込んでみた。
「えー、そんなことないよ。カンボジア人とイギリス人の名前は呼びやすいんだよ。タイ人と日本人のは呼びにくいけどね」
どうやらその子は英語を勉強しているようで、イギリス人(と彼女は言うが本当にイギリス人かどうかは不明)の名前にはある程度触れる機会があるらしい。ある国の国民の名前といってもさまざまだから、一概にどうとはいえないはずだが、まあ、相手は幼い子どもだ。それにしても、タイ人の名前は呼びにくいのに、イギリス人(?)の名前はそうではないというのは意外だった。単にその子が知っているイギリス人と思われる人の名前が短くて覚えやすいとか、そういう理由かもしれない。
話を戻そう。今度は女の子の隣にいた男の子が口を開いた。
「おじさん、カンボジアの名前は何ていうの?」
質問の意図がよくわからないのだが、どうやらこの子は自分の目の前にいる日本人にもカンボジア名があると思っているらしい。確かに自分にはあるカンボジア人につけてもらったカンボジア名があることはあるが、この子にそんな話はしていないし、大半の日本人はカンボジア名なんて持っていない。
「カンボジアの名前なんてないよ。君だって日本の名前なんて持ってないでしょ? それと同じだよ」
少年はなるほどという表情を浮かべたあと、こう続けた。
「じゃあ、タイの名前は?」

■カンダール州の村で選挙演説を聞く

コットムでの選挙演説

▲候補者の演説を聞き終えて帰宅する人々

取材のため、プノンペンの南に位置するカンダール州のコットムへ向かう最中のこと。国道沿いの村でノロドムラナリット党の候補者が選挙演説をしていた。カンボジアでは来月の7月下旬に総選挙が行われることになっている。
カンボジアで選挙演説を直接聞いたことがなかったため、村の人たちに混ざって候補者がどんなことを訴えているのか聞いてみることにした。候補者は木造高床住居に囲まれ、ココヤシやバナナの生えた緑豊かな個人宅の庭先でマイクを片手に主張を叫ぶ。村人たちは地面に敷かれた青いビニルシートに座ったり、床下の縁台に腰を下ろしたりして、候補者の話を聞いている。
演説に耳を傾けたのは途中からであったが、内容は隣国ベトナムやタイとの間で抱えている領土問題、ここ最近甚だしいガソリン価格とさまざまな物価の上昇、支持政党の違いによって引き起こされる人間関係の悪化、失業率などだった。
聞いていて印象深かったのが、野党の候補者とはいえ、隣国タイやベトナムをあからさまに敵視する発言を繰り返していたこと、与党の人民党を名指しで批判していたこと、それに加えて具体的な政策を何一つ掲げず、候補者が考えるカンボジアの問題点をすべて解決すると言い切ったことだった。

演説が終わったあと、支持者らしき人物たちが、車から段ボール箱に入った荷物を担いできて、村人たちに説明し始めた。こちらの問いに対し、隣に座っていた高年の男性が口を開く。
「(あれは)味の素と薬だよ。私たちにくれるんだよ」



■何ができて、何をすべきか

人と会って話を聞いたり、人の著わした書物を読む度、自分に何ができて、何をすべきかを考える。未熟な、否、未熟どころか発芽すらせず、土壌の中で種が腐っているんじゃないかと疑いたくなるような状態だが、それならばまずは防腐から取り組んでみようかというような心境だ。とはいえ、現在の自分にとって、防腐とは何なのか。第一歩はそこからかもしれない。

■「行く必要はないよ」

知人のカンボジア人(女)が結婚することになった。相手はアメリカ在住のカンボジア人で、プノンペンにいる親戚を通して知り合ったという。ただし、婚約が決まるまで本人同士は対面したことはなく、電話で話をしただけだ。
アメリカ在住のカンボジア人と結婚し、アメリカへ移住するカンボジア人の話はよく耳にする。身近なところにもそういう人が3人ほどいた。その3人はすべて親の意志によるもので、自分から希望したわけではないが、1人を除き、結果として本人は特に問題視していないらしい。いずれも、アメリカに渡れば将来の生活がある程度約束されると見込んでのことだ。
結婚という機会以外にも、知識人や機会に恵まれた人、経済的にゆとりのあるカンボジア人が、祖国を離れ、オーストラリアやアメリカへ移住するという話は珍しくない。祖国を再建するために海外へ留学したのに、留学先の国から返って来ない、そんな人たちが現れてきた社会的現象を指して新聞や雑誌が批判記事を掲載したこともあった。

カンボジアでは最近、国際結婚(正確に言えば国際結婚詐欺か?)が絡む人身売買が問題となっており、政府はその対策として外国籍の人間との結婚を禁じた。外国籍の人間との結婚を禁止したところで、根本的な解決にはならないと思うのだが、まあ、この国の政治を動かしている人たちは解決の一助になると考えたようだ。
知人の話に戻る。彼女の結婚相手はカンボジア人とはいえ、国籍上はアメリカ人なので、カンボジア人同士だがカンボジアの国内法では結婚が許されない。これはひとつの悲劇だ。彼女の祖父も
「(彼らが)いつアメリカに行けるかは分からない。しばらくの間はカンボジアで暮らすことになるだろう」
と話す。孫を遠くアメリカへ送る祖父の心境を聞こうと思っていたところ、彼女の祖父がアメリカに行ったことはあるか尋ねてきた。アメリカには10年ほど前に1度だけ行ったことがある。
一般にカンボジア人は、たとえ経済的なゆとりがあったとしても、諸条件が整わない限り、入国できる国は限られている。日本人はどこにでも行けるからね、と彼が言うので、いつもの調子でやや冗談めかし、
「私たち日本人でも、行くのが難しいところがあります。それは北コリア(いわゆる北朝鮮)です」
と告げると、彼はこう答えた。
「行く必要はないよ、(北じゃなくて)南にしなよ」

■書き手の意見がない

先日、ある人に「トーマダー」についての意見をいただいた。感想や意見が直接自分のところへ届くことはまれなので、その意味で大変貴重だ。その人の意見はこうだった。

トーマダーの記事には書き手の意見がほとんどない、長く読んでもらいたいのなら、もう少し書き手の意見や考えが感じられるような記事にしたほうがもっとおもしろいと思う。

「トーマダー」の文章はある考えのもと、意図的に自分の意見や主張などを盛り込まないようにして書いているため、「記事内に意見がない」というのはまさにその通り。こちらとしては制作意図と合致しているのだが、そこに「トーマダー」のマイナス点があるという指摘を受けたのは初めてだった。
このブログで綴っている文章もなるべく意見や主張を書かないようにしている。そのせいで、書きながら自分の文章は読む人に平坦な印象を与えるかもしれないなと考えることがある。特に他人のブログの文章と比べてみたときにはっきり感じる。それを回避するため、意見や考えを綴ってみないかという誘惑に駆られることがある。

とはいえ、あのちっぽけな冊子をやっている意味と自分の位置を改めて見直すと、いつも、やはり今のままでいいんだろうなという結論に達する。いいんだよなあ……。

■カンボジア人の「余裕」

キャピトル社のバスに乗り、シェムリアップ州からプノンペンへ帰ったときのこと。バスのエンジン部に不具合が生じ、路上で何度もエンストを繰り返すようになってしまった。今まで何度もバスを利用したことがあるが、エンストに見舞われたことはない。運転手はなんとか問題を解決しようとあれこれ工夫したが、やっとのことでエンジンがかかってもスピードは30キロ程度しかでないような状態だ。しかも、まだシェムリアップとプノンペンの中間地点にも達していない。
幸い、プノンペンに戻るその日、誰かと約束があったわけではないので、帰りが遅くなってもさしたる問題はないのだが、正直、先が思いやられるなあという気持ちだった。
とうとう運転手はバスを止め、エンジン部分を点検しにいった。日本だったらバス会社や旅行会社にクレームが寄せられるところだろう。だが、この日のバスに乗っていた乗客たちはややざわついているものの、文句を言う人は一人もいない。「シェル(ガソリンスタンド)までたどり着けば修理できるだろう」という声が聞こえてくる程度。
15分ほどでエンジン部の点検をしてきた運転手が車内に戻って来た。なんとか動くようにはなったものの、根本的には解決しなかった模様。
「お客様にはご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございません」
なんていう言葉が発せられるものだと思った矢先、運転手の口から出た言葉は下品な冗談だった。
「バッタンバン(州)まで大便をしに行っていたので、ずいぶん時間がかかってしまいました」
乗客もその冗談に乗る。バスの運行速度は30キロ程度。
「このバス、前進する力はあるか!?」
「この車は観光バスだから、さしずめ私たちはカンボジアにやって来た外国人ってところか。キャピトル社はわざとスピードを落として走ることで、カンボジアの田舎の風景を楽しませてくれてるんだな」
「キャピトル社は誠実だよねえ」
「テレビでコマーシャル流したらいいんじゃない?」
「プノンペンに着くの、何時になってもいいかな」
「おっ、(バスの)力が戻って来たぞ!」
「もうすぐストゥンミアッ(休憩所のレストランの名前)だ、もうすぐだ!」
「おー! 着いたぞ、着いたぞ(拍手)、入ったぞー。」

電車が1分遅れたことで「お客様には大変ご迷惑をおかけしております」なんていうアナウンスが流れる社会とは、根本的に違う世界がここにはある。カンボジア人のこうした精神的な余裕を見せつけられるたびに、自分はまだまだ修行が足りないなあと思うのだった。

■言うは易し、行うは難し

人のやっていることを批判するのは簡単だ。問題は自分がいかに行動するかだと思う。人の批判をする前に、自分の言動を見直すようにしたい。
「言うは易し、行うは難し」
昔の人はよく言ったものだ。

■旅の本屋のまどさん

東京都杉並区西荻北にある書店「旅の本屋のまど」さんにて、「トーマダー」を販売していただけることになりました。

のまどさんのサイトはこちら→http://www.nomad-books.co.jp/

今週、納品する予定なので、早ければ来週には店頭に並ぶかもしれません。のまどさん、どうもありがとうございます。


■あの時代には平等があった

タケオ州出身のあるカンボジア人(40代)の言葉。仮にその彼をPとする。Pはポルポト時代、まだ子どもだったため、あの時代は「家族と引き離された辛さ」は強く感じたが、政治的、歴史的な意味は理解できなかった。そのPに、ある日本人が聞いた。
「ポルポトはどんな人間だったと思うか」
Pはこう答えた。
「ポルポト時代が終わって大きくなってから、自分なりに歴史を勉強してポルポト時代を整理してみた結果、ポルポトはいい人間だったという結論に達した。なぜなら、あの時代には平等があり、それをもたらしたのがポルポトだからだ」
都市住民と農村で生活する農民との大きな距離を縮め、そこに平等をもたらそうとしたポルポトは「いい」人間だったというのがPの考えだ。このPも失われていく命を目にしたし、十分に食べられない辛さも味わっている。

ポルポト時代について書かれた体験記や書物、映像などは、おもに都市住民側からの視点で描かれたもので、それらと比べるとあの時代以前から農村で暮らしていた農民、旧住民と呼ばれた人々の言葉はごく少数ではないだろうか。ポルポト時代とは何だったのかを語ろうとするとき、このもう一方の視点を欠いてしまっては大きな何かを見落としてしまうのではないかと思う。その大きな何かは巨大で静かなひずみとなって現在のカンボジアにもひしひしと襲いかかっている気がする。

Pの口から発せられたような言葉を聞くたび、カンボジアの農村に住む人々、カンボジア人の大半を占める農民とプノンペンという都市で生きる自分との間に峰のようにそびえる壁の高さを感じずにはいられない。加えて、この種の壁は世界の至るところで見えない障壁となり、弱き人々を苦しめているのではないかと思えてならない。こんなことを考えていると、目の前に広がるプノンペンの闇のなかに奇妙な深さを感じてしまう。

■コンポンチャーム州での国境貿易

国境貿易1

▲コンポンチャーム州南部にある国境の村での国境貿易のようす。

ある仕事の関係でコンポンチャーム州南部の村を回ったときのこと。ベトナムと国境を接するドーン集落(通称)で大豆の国境貿易を見た。写真に写っているのはコンポンチャーム州のチョムカールー台地で栽培された大豆。国境を越える手前のドーン集落で品質と重量の再確認をしてからバイクに積んでベトナムへ運ぶ。現場を取り仕切るベトナム人の女性によると、1キロ9000ドン(約2200リエル=約50円)でベトナムへ売る。すぐそばでは、こぼれた大豆を広い集めるカンボジア人の農民の姿があった。

国境貿易2

▲バイクに大豆を乗せて国境へ向かうベトナム人。

バイクに積まれた大豆は、青々とした田園のなかを伸びる狭い農道を通ってベトナムへ運ばれていく。写真に写っている林を越えてしばらく進むとそこはもうベトナムだ。原則としてここは地元の人のみが行き来することのできる国境なので、外国人旅行者の姿はない。こういう光景を見ていると、自分の頭にある「国境」という概念と目の前のそれとはずいぶん距離があるんだなあと感じる。大豆を乗せたバイクは、国境に吸い込まれるように次々と姿を消していった。

■マス・ツーリズムについて考える

とある新聞記者の取材に通訳として同行し、カンボジア東部のクラチェ州へ行って来た。クラチェといえばメコン川に生息する淡水イルカ。取材のテーマもこのイルカと関係がある。

カンボジア政府やクラチェ州は、世界的にも貴重なこの淡水イルカを観光資源として活かそうとしている。最近、よく聞くようになった「エコツーリズム」の一環らしい。絶滅の危機に瀕している生物を守り、かつ観光資源として活用していくという話は聞こえがいい。イルカを守ることができ、かつ観光収入も入る。いいことじゃないか。多くの人が思う。だが、その陰で苦境に追い込まれている人々の存在は、「観光開発」というスローガンのもとにかき消される。こんなことを書いている自分も意識しなかったことだ。

絶滅の危機に瀕している生物の保護。このこと自体は大切なことだろう。でも、イルカの保護が社会的弱者を追い込むことになってはいけないと思う。
「観光資源であるイルカを保護することで、地元に観光収入が落ち、地元経済が潤う」
と主張する人がいる。この主張にある「地元」とは、具体的にどんな人々のことを指すのだろう?

観光収入が一部の人々を潤す一方、弱き立場にある人々の生活は変わらない。いや、それどころかイルカ保護政策のもとで、以前より苦しい状況に陥っている人すらいる。カンボジアが抱える陰鬱な現実のひとつがここにもある。

石澤良昭・編著『アンコールワットを読む』(連合出版)の口絵ページにこんなキャプションがつけられた写真が掲載されている。写真はシェムリアップにあるごみ廃棄場だ。
「マス・ツーリズムとは何なのか? その功罪は? 地域住民を置き去りにした観光開発であってはならない。」

格安航空券で世界を移動し、全土に張り巡らされたバス網を利用して地方へ移動する。マス・ツーリズムの恩恵にどっぷり浸っている自分は、この大きな矛盾の渦に巻き込まれ、方向を失い、出口を見いだせないでいる。これもまた陰鬱な現実だ。

この国はどこへ向かおうとしているのだろう。

■トーマダー4号、ただいま印刷中

トーマダー4号のカバー


トーマダー4号の制作が終わった。年末年始も動き続けてやっと印刷まで持っていけた。今回は選んだテーマがテーマだったこともあり、生み出す苦労を味わった。
特に護符ヨアンの話は取材準備にずいぶん苦戦した。資料探しとその読み込み、取材対象者探し、そしてインタビュー。宗教的な内容やカンボジア人のものの考え方なども関係してくるため、まだまだ不勉強な自分にはずいぶん重いテーマだったと思う。可能な限り突っ込んで調べたつもりだが、それを読者の方々がどう受け止めるか。それでも、ヨアンは自分が知る限り日本のメディアではほとんど取り上げられたことのないので、その意味ではそれなりに納得のいく仕事をしたと思う。

表紙の写真は当初予定していたものと差し替え、「ものづくりの現場を訪ねる」の内容も予告していたものからコッダイ島の染織へと変更した。また、シリーズ企画の「カンボジアのチュガンニュ」は誌面では止め、今後、ウェブで展開していく予定だ。

発行の遅れにより、いろいろな方々に迷惑をかけてしまったことを反省。また、「4号はいつ出るのか」という数少ない嬉しい問い合せには感謝、感謝である。そう言う声があってこそ、小誌を続けていけるというものだ。数日の休憩を、と思ったが、1月はしばらく休めそうにない。

■ネアックター(土地の精霊)のお告げ

ネアックター

▲村に祀られているネアックター(右の石)。左の像は不明/撮影:カンダール州

あるカンボジア人からおもしろい話を聞いた。カンボジア人の多くは仏教を信仰しているが、それとは別にネアックターという存在を信じている。ネアックターとは何かを説明するのは難しいが、ごくおおざっぱに言えば土地の精霊と言える。カンボジア語でネアックは一般的な「人」を、ターは「祖父」を意味することから、祖先の霊を指すとも考えられている。あるカンボジア人によれば、ネアックターには、山のネアックター、川のネアックター、森のネアックター、家のネアックターなど、さまざまな存在があるという。

ところで、カンボジア人の家には、だいたいこのネアックターを祀る祠のようなものがある。日本でいうところの神棚のようなものと考えればいいだろうか。おもしろい話はここからだ。カンボジアではロトのような数字を当てるくじが広く親しまれているが、あるカンボジア人の家庭では、祀っているネアックターが当選番号を告げてくれるという。あるとき、突然ネアックターからの「お告げ」があり、それに従ってくじの番号を買うと当たるというのだ。ただし、その番号を人に教えてはいけないことになっていて、もし他人に言ってしまったら今後いっさい「お告げ」はなくなってしまうそうだ。
見事、当選した暁には、ネアックターにお礼のお供え物をする。その家庭で祀っているネアックターはアサヒビール(カンボジアでも広く販売されている)が好きなので、それをお供えするらしい。このお供え物を忘れてしまっても、ネアックターを怒らせてしまうことになるので、欠かせないという。アサヒビールが好きなネアックターとは、いかなるネアックターなのだろうか……。

■「2ヶ月も過ぎてるのにまだ給料が支払われていなくってねえ」

調べものをしに仏教研究所の図書室へ行ったときのこと。2時半ごろ図書室前に着いたのだが、まだ扉が開いていない。係の人が遅れているのだろうと思い、空き時間を使って門のそばにある書店で資料探しをしながら待っていると、45分頃、扉が開いた。係の人に
「もう入ってもいいですか?」
とひと声かけてから中へ入ると、入館簿への記入を促してきた係の人が口を開く。
「いやあ、2ヶ月も過ぎてるのにまだ給料が支払われていなくってねえ」
この人に限った話ではないが、ほぼ初対面に等しい人間にどうしてそういうことを言ったり聞いたりするのだろう、というカンボジア人は少なくない。この日もお互いの仕事とか収入の話をしていた流れでそういう話題になったのなら、まだわからなくもないのだが、そんな前触れは一切なし。入館簿への記入を進められ、それに従って名前やら性別やらを書いていた矢先のことだ。世間話の入り口にしては、ちょっとネタが重いよな。
時間があったら、ちょっと突っ込んでみるとまたカンボジア人に対する新しい発見があったかもしれないが、この日は時間がなかったし、やや疲れていたこともあって、
「そうなんですか」
と一言返すだけで終わった。

次回、機会があったら少々実験的に突っ込んでみようかと思う。

■ワットプノン寺院、もうひとつの味わい方

漁具

▲Parmanent Wat Phnom Drawing Art Exhibition Centerの奥に展示されている漁具

「観光名所」の少ない首都プノンペンにあって、定番の観光地のひとつとなっているのが、プノンペン発祥の地といわれるワットプノン寺院だ。小高い丘の上に築かれたこの寺院は、プノンペン中心部では珍しく緑の豊かなところで、地元の人々の憩いの場ともなっている。
さて、ワットプノン寺院を訪れたら、寺院の西側にあるParmanent Wat Phnom Drawing Art Exhibition Centerにも足を運んでみたい。お土産物や絵画の並べられた空間を通り越して奥へ進むと、民俗資料館のような一画があり、漁具や農具、民具などが展示されているのだ。

サトウヤシの樹液採取道具

▲サトウヤシの樹液採取に使う道具と運搬用の自転車

各展示には、ほとんど説明はないに等しいが、カンボジアの農村の暮らしに興味のある人なら、きっと興味深く見ることができるだろう。地方出身のカンボジア人と一緒に訪れる機会があったら、それぞれの道具が農村でいつ、どんな風に使われているのかを聞いてみれば、カンボジアという国を別の視点から見ることができるのではないかと思う。
これら民具には、「開発」の進むプノンペンやシェムリアップの中心部、シハヌークビルなどの町からは感じとることの難しい、農村の暮らしが詰まっている。